対話回避も必要
かつて自分は、ある人に対話するなと言った。
正しかったと思う。
相手と話の前提条件が違っていたのだ。
それは、文化の相違であり、まず埋まらない。
残念だが異文化を尊重しない人間も存在する。
対話してはならない人間だ。
議論か
議論で価値観の相違を埋めるべきと言う人はいるのだろう。
しかし、その考え自体が、特定の文化の考えである。
他の文化に対してそれを強いるのは、暴力に近い。
議論至上主義者は、議論を当然と思っている。
そう思っていない人にも議論を強いる。
議論を避ける人は批判される。
それは、異文化への攻撃だ。
批判を受け入れるか、議論に乗るか、不公平な択一を強いる。
名指し批判の是非
批判を名指しにするか否かも、文化圏が分かれている。
一方の文化圏から見れば、他方は非常識だ。
他方に自分の流儀を押し付ける人は、子供だ。
互いに尊重するのが大人だ。
自己弁護
批判が事実誤認だった人がいた。
その人は他人の言を引き、事実確認不足な自身を弁護した。
自分はその行為に嫌悪感を感じた。
本当に吐き気を感じた。
自己弁護したくなるのが人情だろう。
しかし大人の態度ではない。
そのような人を、他山の石としてゆこうではないか。
悪例も役立てよう。