見聞すべし

そういう痛いムラビトにならないためには、多くのムラを見聞することが大切だ。
自身と異なる価値観があることを認識し、尊重する度量を持つべきだろう。


見えている世界が狭いと、自分の世界を中心に見てしまうのだろう。
子供がムラに閉じた考え方をしがちなのも、同じ理由ではないだろうか。


見聞は本人の自覚と行動によるものである。
他人が与えるものではなく、改善が難しいのが実情である。
仕方ないのだろうか。

ムラの攻撃性

ムラを形成するのは、さほど悪いことではないと思う。
似た感覚の人々で楽しく過ごせるのだから。


しかし、ムラ的な世界に閉じこもる人々に、危険性を感じる。
ムラの流儀を外部の人々に押し付けないと気が済まないのだ。
ムラの流儀を普遍と勘違いしてしまうのだ。

仲良しグループ

仲良しグループ内の仲間を良く思う人は多いだろう。
仲良しグループ内部の、内向きの感情。
仲良しで群れるのは楽しかろう。


だから、その仲良しグループを大切に思うだろう。
グループメンバーへの異論を攻撃に感じることだろう。


グループの構成員が大人ばかりなら、まだ良い。
子供がいると、感情で反応をしてしまう場合が多い。
攻撃的な大人もいるが。

ネットでのムラと攻撃性

自分はヒステリックになる人には嫌悪感を感じる。
感情に流されない人を好む。
同様の感覚を持つ人は少数派ではないだろう。


しかし、自身の属するムラへの異論には、ヒステリーを起こす人々が多い。
自己防衛本能だろうか。

ネットマナーは異文化への配慮

ネットマナーは、特定のムラだけで完結するものではない。
他のムラにも配慮してこそのネットマナーだ。


自分のムラの文化を普遍と考えるのは未熟だ。
異なる文化のムラにも配慮するのが大人だろう。


自分は、特定のムラに閉じこもるのではなく、多くのムラを見聞していきたい。
マサカリをかついだムラビトたちを反面教師とし、大人の寛容性を持ちたい。
自分の未熟さにも目を向け、自省できる人でありたい。

自分の幸運

自分が幸運だったのは、複数のムラを研究する専門家集団が背後に陣取っていたことだ。
厳しいことも言われたが、自分は心から感謝している。
彼らの知識や冷静さが、勢いで行動しがちな自分を律してくれた。

ムラ社会

自分が反論した原理主義者たちは、彼らのムラ社会で生きているのだろう。
他のムラを尊重してくれれば良いのだが、他のムラの存在を認めることはないかも知れない。


善悪を属人的に考える傾向が垣間見えたが、それもムラビトの特徴である。
モヒカン族とムラビトは対極の存在と思われがちだが、そうとは限らないことが証明された。
手に持ったマサカリを他のムラに振り下ろすムラビトもいるのだ。