背後の人間たち

自分は、議論原理主義者たちの言葉に反論した。
孤軍奮闘に見えたことだろう。


実際には、自分の後ろに何人もの人間がいた。
助言だけくれる人もいた。自分を代弁者にしようとする人もいた。


価値観の違う人々だが、問題の一件については似た認識を持っていた。
議論原理主義者への批判的見解。

関わらない理由

自分に言わせず、彼ら自身で意見を言えば良いのだが。
彼ら自身の言葉の一部を引用することで、彼らが出てこない理由を明示する。

原理主義者には関わりたくないですよね。
感情的な人にも。

私が参戦したら騒ぎになりますよね。

私まで巻き込まれたくないんです。

あの方々を話せる相手とは思わない。
あんなのと話すのは、仕事を辞めないと無理だ。
暇人じゃなきゃ撃破されるだけだろ。

味方しても延命にしかならん。
順調に殺されるのを見守ってやるのが優しさだ。
マサカリかついだ原理主義者に勝てるわけがないだろう。

留保分の情報

話を変える。


自分には、まだ公表していない重要な情報がいくつかある。
今になって公表しても誰の幸せにもならないので、もう公表しないかも知れない。


公表の前提条件を満たせていない情報もある。
満たしたいが、難しいか。

背後の人間

自分の背後にいた人間たちは、個性が強かった。


ネットマナーの専門家が何名もいた。
常識人もいれば、過激な人もいた。
法律に詳しい人も、そうでない人もいた。
初心者に優しい人も、初心者を恨む人もいた。


問題の原理主義者たちに近い考えの人もいたが、見識が広く、結論は普通の原理主義者と違った。
自分もやや違う分野の原理主義者だが、自分の未熟さを思い知らされた。


属する文化圏が複数に渡ったため、自分の背後でも複数のバトルが展開された。
自分は背後でのバトルには不快感を感じなかった。同じ議論でも違うものだ。
自分は背後からこそメッタ刺しにされたのだが。

ムラ社会

自分が反論した原理主義者たちは、彼らのムラ社会で生きているのだろう。
他のムラを尊重してくれれば良いのだが、他のムラの存在を認めることはないかも知れない。


善悪を属人的に考える傾向が垣間見えたが、それもムラビトの特徴である。
モヒカン族とムラビトは対極の存在と思われがちだが、そうとは限らないことが証明された。
手に持ったマサカリを他のムラに振り下ろすムラビトもいるのだ。

自分の幸運

自分が幸運だったのは、複数のムラを研究する専門家集団が背後に陣取っていたことだ。
厳しいことも言われたが、自分は心から感謝している。
彼らの知識や冷静さが、勢いで行動しがちな自分を律してくれた。

ネットマナーは異文化への配慮

ネットマナーは、特定のムラだけで完結するものではない。
他のムラにも配慮してこそのネットマナーだ。


自分のムラの文化を普遍と考えるのは未熟だ。
異なる文化のムラにも配慮するのが大人だろう。


自分は、特定のムラに閉じこもるのではなく、多くのムラを見聞していきたい。
マサカリをかついだムラビトたちを反面教師とし、大人の寛容性を持ちたい。
自分の未熟さにも目を向け、自省できる人でありたい。